観魚洞隧道をはじめ、様々な旧道や廃道を通り、無事に伊東市街へ到達した久留里。
伊東市街から県道109号線に寄り道、汐吹隧道を通過し、ここが旧国道でないことを確認した。

長い長い今回の旅もいよいよクライマックス!!現在の旧道の様子をお伝えしよう。

12 天空ノ架ケ橋

14:15 [地図を表示]
行き先の書かれていない矢印。R135の旧道はこの標識のある分岐点からスタートする。まずは「東伊豆道路」についてご説明しよう。
東伊豆道路は伊豆半島の東側を通る有料道路で、1956年(昭和31年)に伊東区間(伊東市玖須美元和田〜同八幡野間)が開通した。その後、1957年(昭和32年)に下田区間(河津町〜下田市間)が開通した。残りの区間も1962年(昭和37年)に熱川区間(伊東市八幡野〜東伊豆町片瀬間)が、1967年(昭和42年)に稲取区間(東伊豆町片瀬〜河津町間)が順次開通した。
しばらくは有料道路として併用されていたが、伊東区間が1972年(昭和47年)に無料開放されたのを皮切りに、1982年(昭和57年)4月1日に全線が無料開放された。
東伊豆道路のベースとなったのは二級国道(当時)135号線で、1953年(昭和28年)に国道指定を受けている。ちょうど伊豆観光ブームが始まった頃だ(と思う。生まれる前の時代さかい、よう分からん)。その135号線のバイパスとして造られたのがこの東伊豆道路である。


さっそくお出まし。この先、ヘビー級の自動車は通れない橋があるようだ。せやけど重量制限16tに引っかかるクルマってどんなんやろ?
ISUZUのサイトで大型観光バスのスペックを確認してみたが、GALAの質量は15tであり、一応クリアしている。その前に車両がデカすぎて通れへんと思うんやけど。


地図上での予想通り、道幅は狭い。とてもでないが、20年以上前まで国道指定を受けていた道とは思えない。まだ2時台だがすでに陽が傾き始めており、天城山脈の東側に位置するこの地は、西側よりも先に暗くなってしまう。お陰さんで、ご覧の通り、森林地帯は暗くて陰鬱な雰囲気が漂い、寂しさが更に倍増する。
ま、1人の方が気楽でええねんけどw


旧道に入って1kmも走らぬうちに、こんなモノを見付けた。ステンレス製の看板には、社会科の資料集に載っていそうなイラストと、「曽我物語はじまりの地椎の木三本」と書かれている。内容は現地でご覧頂くとして、ここから分岐する獣道を登ると、この物語の冒頭に登場するシイノキが3本生えてるとこに行けるそうだ。
余談だが、千葉県出身の久留里は「そが」というコトバを聞くと「曽我」ではなく「蘇我」の方をイメージしてしまう。蘇我は千葉県市原市にある京葉線の終着駅だ。


わぉ!!スバラシス!!
森というか、山の向こうに海が見える。さらにその向こうには、何とうっすらと大島の姿が見えるではないか。久留里、(記憶のなかでは)初めて伊豆大島を見る。


ふと来た道を振り返る。
「あー、結構坂きつかったんやな」と思うて顔を見上げると───────、

!? 何かある!!
少しだけ来た道を戻って、「何か」に接近。こ、これは……………



激しくキタ━━!!
な、何とループ橋があるではないか!!



[航空写真を表示]
Yahoo!の地図にも点線でしっかりと描かれているが、事前情報の通り、本当に廃ループ橋があった。写真ではちょっと分かりづらいが、画面右側のパーツが不自然に折れ曲がっている。このループ橋は時計回りの登っていくのだが、登っていく先も「ボッキリ」と折れ曲がっており、この橋を通ることはもはや不可能のようだ。


これがループ橋の入口と思われる部分。ちょうど林を抜けたとこにあるのだが、いっちゃん初めは廃棄物処理場の入口かと思っていたのだが、この真上に例のループ橋がある事には気が付かなかった。まぁ、確かに北側(伊豆高原側)からだと分かりづらい。
ところでこのループ橋、一体何のために設けられたのだろうか?豪快に崩壊しているので、廃された原因は30年前の大地震であると思われるが、この橋の目的が分からん。


13 旧酷道135

14:31 [地図を表示]

分岐点から走ること1.3km、古ぼけた橋に到達。欄干の親柱には「赤沢橋」と書かれており、分岐点で予告していた「赤沢橋」で間違いなさそうだ。どう見ても16tの重さに絶えられそうな橋ではないのだが…。
橋の上からは伊豆急行の高架橋が見える。景色を眺めていると、ちょうど「スーパービュー踊り子」が颯爽と通過していった。


赤沢橋を渡り終えると、すぐにこいつを見付けた。何やら動作音がするので、未だに現役のようだ。現在はLEDで道路上に表示している表示器だが、昔はこのように幕式のものが使われていたようだ。
最上段は消えかかっているが、「通行注意」と書いてある。「郡界」とは伊東市と東伊豆町の境で、伊東市南部はかつて、対馬町という違う郡に属する町だった。


歴史的建造物Fooo!!
道路情報案内板を過ぎた直後だった。コンクリート製だが、相当前のものに違いない。このパーツの製造年は確認出来なかったが、おそらく昭和20〜30年代のものと思われる。


登って降りて、また登る。道幅は相変わらず1.8〜1.5車線が続く。確かに道のりは険しい。地図を見てイメージした通りだ。
クルマは殆どが現国道を走っているため、クルマの往来は少ない。が、たま〜に前から後ろからやって来るので、この道の需要はそれなりにあるようだ。


「この道路は群界〜奈良本まえ連続雨量100mmをこえると通行止めになります」
この警告板の下には、書き主と思われる「静岡県 下田土木事務所」という文字がステッカで隠されている。これも、かつてここが国道だっという証だ。(一般国道の管理は、通常、都道府県が行っている)

因みに今の天気はというと、曇りがちだった空は晴れてきたので、通行止めの心配はしなくても良さそうだ。
しかし、連続雨量100mmで通行止めとなるこの山岳道は、確かに国道には相応しくない。現国道である東伊豆道路の効果はとても大きかったに違いない。


鬱蒼とした林の中を通るR135旧道だが、たまに開けた所に出る。断崖絶壁のきわどい所に出ることもあるが、ガードレールが設置されており、法面もしっかりと整えられているのでビクビクする必要はない。
視界いっぱいに拡がる海が、ひとときの癒しを与えてくれる。

14 規制区間〜集落へ

14:53 [地図を表示]
旧道に入って約40分、大川の集落に到着した。いつの間にか東伊豆町に入っていたようで、道中、東伊豆町の白看を見ることはなかった(見落としただけかも知れないが)。郡境(市町境)からこの先の奈良本までが降雨時の規制区間となる。100mmの雨の心配は無さそうだ。


疲れたのでちょっと休憩。
この看板を見て山陰の高速特急列車を想像したのは、久留里だけでないはず。そうですよね>山陰地方の皆さん。


大川の集落を抜け、更に南下する。鉄道で言うと、伊豆北川(ほっかわ)駅の先まで旧道は続く。
頼りない1車線強の道幅がひょろひょろと続いており、辺りが暗なってきたせいか、すこし寒気がしてきた。空は晴れてはいるが、陽が天城山脈の陰に隠れてしまったため、曇り空の中を走っているような錯覚に陥る。


↑と同し場所から見下ろす。断崖ギリギリのわずかなスペースに、身を寄せるように集まる、文字通りの集落。東伊豆道路(現国道)は地形などおかまいなしに突っ切っているが、集落はこの道路が出来る前からあるようだ。


ずーっと狭いままの旧道。伊豆北川(ほっかわ)駅へのショートカット道が分岐する。集落間の無人地帯でも、ときたま下へ降りるための道が分岐する。その幅は旧国道に負けず狭い!!


15:25 [地図を表示]
病院を過ぎて、規制区間の終点、奈良本地区の中心部に入る。道幅も一気に2車線にアップして、センタラインは無いものの今までとは比べものにならないほど走りやすい(路面状況はとても良いが)。


ちょwwwwwこれwwwwww
Lアングルに色を塗り、時刻表を貼っただけのスーパー簡素なバス停を発見!!
地元にも簡素なバス停があるが、ここまで簡素ではない。恐るべし伊豆旧道!!


最後に、旧道は丁字路で現国道に合流する。写真では分かりづらいが、画面右手のユンボが置いてあるあたりがかつての旧道跡と思われる。
長い信号を待って、交差点を右折する。久々の国道区間だ。


15時39分、特にこれといったトラブルに見舞われることなく片瀬白田駅に到着。途中、復旧工事中の箇所があり、路上で少し待たされた。何と、土砂崩れ防止用の板が道路側に傾いており、それを直すために片側交互通行となっていた。

元々自動車専用道路として設計された東伊豆道路。歩道どころか、路肩のスペースそのものが殆ど無いこの路線は、歩行者や自転車にとって非常に通りづらい路線である。お陰さんで、待っている間は前からくるクルマや後ろで邪魔臭そうに見ているドライバーのクールな視線でヒヤヒヤ。
東伊豆道路の道路状況を考えれば、過保護と言われる現代社会の方が幾分交通弱者に対する配慮がなされているような気ぃする。


文句を言っていても仕方がない。
日没寸前の東伊豆道路、久留里は無事下田までたどり着けるのか?!

—IZU 隧道&旧道巡り—その7
ひまわりデザイン研究所