神奈川
険 道
76号線
#001
2006.04.30〜05.01 走行
その8

早朝から始まったr76の攻略は、山北町中川の南側限界点にて一旦終了。この先は登山道となるため、久留里は迂回路である犬越路林道に入った。終点の犬越路隧道で第一の目的を果たし、第二ステージへ。

第二ステージはいきなり(初心者には)ハードな神ノ川林道が用意されていた。ぶつかったり落ちそうになりながら何とかダート区間を走破し、最後のゲートへ辿り着いた。

r76も本来の峠を越えてすぐそこまでやってきた。さて、r76の北側はどんな道なのだろう?

19 再会

06.04.30 14:22 [地図を表示]
最後のゲートを突破し、無事「現世」に戻ってきた久留里。
これでもかと言わんばかりに「通たらあかん」という標識やら看板やらが仰山立っており、絶対通って欲しないようだ。
ゲートの上にもちゃんと「車輌通行止め(自転車・許可車を除く)」と書いており、ここが自転車専用道路だということを示している。

写真右下にオートバイが写っているが、ゲート前には広場があり、トイレと思われる建物と小さな駐車場がある。今持ってる登山地図の通りだ。広場には何人か人がいて、何やらイベントを行っているように見える。ハイキングの帰りかな?


神ノ川林道で神経を消耗したので、すぐそこにある(らしい)神ノ川ヒュッテで休むことにした。

ちなみに林道はゲートを通過して日陰沢を橋で渡り、この先の県道へと続いている。あたかも一本の道であるかのようだ。もしかして、ここから先はr76と林道の重複区間?!いや、まさかな。

ここが犬越路北口の拠点、神ノ川ヒュッテだ。実は県道を藤野側からスタートし、ここで宿泊して翌日隧道を目指すというプランを考えていたのだが、予約は1週間前とのこと。機会があれば、是非泊まってみたいヒュッテだ。
ヒュッテは車道から少し奥まったとこにあった。入口を探していると、コンクリ舗装のか細い道を見つけたので、行ってみるとそこにこのヒュッテがあった。


ところでr76は犬越路峠を下りてヒュッテの前を通り、車道となって青根集落へ至るのだが、この間の道が見付からない。も、もしかして…………………??

神ノ川ヒュッテから見た裏丹沢の景色。ようやっと電気が通っている場所へ着いたのだが、まだまだ山奥に居てることを実感する。ちなみに「ヒュッテ」とはドイツ語で「山小屋」とう意味だそうだ。神ノ川ヒュッテは管理人さん付きなので、2階建ての大型タイプだが、実際山頂にある避難小屋はこない立派なもんちゃうやろ。


ヒュッテのすぐ脇には「東海自然歩道」と書かれたお手製の案内板が立っている。
「自」の真下に描かれているのはおそらく神ノ川ヒュッテだろう。矢印の方向に歩けば犬越路に到達する。犬越路、つまりr76の最高地点に至るのだ。


ジャジャーン
ここが「県道です」と言って信じる人は何人いるだろうか?
登山経験のある者ならご存知だと思うが、日本には登山県道というのがある。そう、県が管理している登山道だ。県内では丹沢の、お隣の静岡県では富士山の登山道が県道として指定されている。
だが、ここはそこらの登山県道とは違う。腐って溶けてもここは主要地方道であり、ほんじょそこらの県道と一緒にされては困る(←誰が困んねん)。
登山道だから、登りは「担ぎ」が必至だろうし、下りは神ノ川以上に神経を遣いそう。自転車ははっきり言って「お荷物」になりそうな道だが、いずれこの道を走ってみたい。


トイレに行くため、広場に出てみた。一面運動場のようなとこで、画面右手には大きな公衆トイレがある。1〜2年くらい前に出来たトイレのようで、何と水洗式!!場所が場所だけにめっちゃ驚いた。
ここは「長者舎(ちょうじゃしゃ)」という場所で、字名もなっている(字名は「ちょうじゃごや」と読む)。立て看板には「長者舎」という地名の由来が書かれていた。


「むか〜しむかしに戦から逃げてきた1人の侍はんがおって、花折姫っちゅういとはんも一緒だったそうだ。ある日、姫はんが草履を川に落としてしもて、その草履で追っ手にばれてもうて捕まえられてしもたそうな。ほいで、侍はん親子が住まはった家がここにあったから、「長者舎」という名前となったそうだ。」

もしかして、今あるトイレがかつての家だったのか?

休憩を終え、いよいよスタート。最後にヒュッテへ行く途中にある橋から日陰沢を見る。画面奥が南、つまり山側だ。水質がとても良く、ここで飲む水はさぞかし美味しいのだろうと思う。今は犬越路隧道で汲んできた水があるので、ここでの給水はパスした。
で、一つ分かったことがある。今立っている1車線のコンクリートロードが、紛れもない主要地方道76号・山北藤野線だった!!管理人さんの軽トラとすれ違ったが、ホンマギリギリやった。


15時6分。次の目的地は青根。右ヨシ、左ヨシ。出発、進行!!
発車、定時!!

20 快速!!

06.04.30 15:06 [地図を表示]
約3時間半ぶりに県道を走る。道幅はセンタラインの無い1.5車線だが、ちゃんとしたアスファルト舗装であり、ガードレール設置率も非常に高い。登りの勾配も急だったが、こちらの下りも同じく急!!オフロード車なのにどんどんスピードが出る。そして直ぐに本レポ最速の52.8km/hを叩きだした。
ちなみに久留里の自己最高速度記録は67km/h。足柄峠の下りでのことだった。

のんびり各駅停車は一気に弾丸特急へと変身し、シャーっと一気に坂を下る!!だが、ここは自動車通行な道。対向車も時々現れるので注意が必要だ。久留里のMTBは入門車ながらオフロード仕様なので、ロードバイクが好みそうな急坂ではバ〜〜〜〜っていう乾いたタイヤノイズが結構耳に障る。走行抵抗が大きいのだ。今タイヤいろたらアッチッチやな。

弾丸特急銀龍号は下って下ってたまに登ってまた下る。
どんどん下っていくと、大瀬戸トンネルに出会う。何処にでもあるごく普通のトンネルだが、思わず緊急停止。

【大瀬戸トンネル】
1991年2月竣工。延長126m、高さ4.5m、幅5m、巻厚0.3m。

まわりに付け替え道路などが見あたらないので、このトンネルは改修されたトンネルで、銘板に書いてあるのは改修年だと思っていた。しかし、こちらのサイトで新たに掘られたものだということが判明した。
大瀬戸トンネルは神ノ川林道の小洞・孫右衛門トンネルと同年代だが、坑口にレリーフは描かれていなかった。


花折橋で併走する神ノ川を渡る。こんどは神ノ川が進行方向左手にまわる。そして、川と県道はぴったり沿って青根を目指す。
道路状態は右写真のような感じで、舗装状態は「良くもなければ悪くもない」で、道幅は1.5車線をキープしている。


上の写真を振り返ると、小瀬戸トンネル。
2000年改修、長さ73.4m(webサイト「県道と標識」より)
地図上では細い一本道に書いてあるトンネルなので、どえらい狭うて暗うておっかない隧道がと思いきや、ごく普通のトンネルだったので半分がっかり半分安心。「県道と標識」によると、「改修する前はもっと狭かった」そうだ。改修があと10年遅れていたら、r76最恐の隧道だったに違いない。


21 親と子

06.04.30 15:27 [地図を表示]
勢いに任せて坂を下ると、登山地図にも載っているエビラ沢橋を渡る。Uの字形でエビラ沢を渡る、ユニークな橋だ。おまけに勾配もある。この付近はキャンプ場があり、何故か日の丸印の黒いバス走る住宅が停められていた。エビラ沢橋で行き止ま林道と分岐するが、そのままスルーしてまた下る………………と思いきや、思わぬとこで登り開始。

今回は、計画時に使うたメモを持参している。メモはパソコンで書いたものだが、そこにチェックポイントと想定距離・時間を記入していた。チェックポイントでサイクルコンピュータに記録された距離・最高速度・平均速度といったデータを手書きで書いていくのだ。
で、神ノ川ヒュッテの次のチェックポイントがエビラ沢橋だった。が、通過してしまった。下りがずっと続き、平均速度の最高記録が出せそうな区間だったのでガンガン走って稼ぐつもりで、このエビラ沢橋を通過してしまったのだ。
まぁ、山ちゃりで速度なんか求めても仕様むないのだが、いちびるとろくな事がない、ということがよく分かった。反省。

結局、エビラ沢橋の先にあった室窪(むろくぼ)小橋でチェックをした。それでも神ノ川ヒュッテ〜室窪小橋間の区間平均速度は23km/h。いかに高速で下ってきたかがよく分かる。

先程のやる気は何処へやら。県道も久留里もエビラ沢橋を境にヘロヘロになってしまった。r76は若干幅が狭まり、至る所に1車線区間が現れ始めた。地図でも明らかなのだが、線形も厳しい。で、上り坂。突然ペースが落ちて調子が狂う。
一旦勾配が緩むと、この橋が現れた。すぐ隣に気になる物があるので自転車を停め、徒歩で向かう。


廃橋Foooo!!
廃橋は意外といろんなとこで見ているが、レポネタになりそうなのはこれが初めて。現橋はカーブのかかった長い橋で渡しているが、かつてはΩの字に曲がった道にちょこんとかいらしく掛かっていた。
ちなみに橋の名前は京田橋。山側の欄干が少し崩れているが、大規模な落石でもあったのだろう。道幅も1.0車線ジャストしかない。
前後の道は廃道となっているが、画面手前(青根側)から進入可能。橋の隣に給水管らしきパイプがあるので、それの保守のために残されたのだろう。尚、橋の向こうは意図的に道が寸断されており、通り抜けは不可能。


親柱には銘板が残されていた。昭和四十五年三月完成。
もっと古いと思たら、意外だった。現京田橋は90年代後半に架けられたと思われるので、旧京田橋は約30年間という比較的短命な橋だったということになる。


旧橋から現橋を臨む。現橋の下にちょこっと見えるのは神ノ川。その向こうの山を越えると、もう山梨県だ。神ノ川はこの先、同志川と合流し、最後は奥相模湖へ注ぐ。


現橋へ戻る。京田橋の扁額だ。うん…。ほぉ…。
橋の扁額ならよく見かけるもので、特に気になるモノではないのだが…………何か気になる。
脇に小さいプレートが貼ってあったので見てみると………………!!

何と、この銘板を書いたのは地元の小学生だった!!
落ち着け落ち着け。もしかしたら"よくあること"なのかも分からん。久留里が知らんだけかも分からん。せやけど、ビックリ事実!!


「もしかして…」と思て反対側の銘板も見てみると、何とこちらも地元の小学生が書いている。
←の方は「いかにも」という感じだが、↑のにはめっちゃ驚いた。
久留里は「書」の知識はあらへんけど、銘板を書いた2人の小学生は貴重な体験をしたに違いない。


肩や昭和40年代、肩や平成生まれ。しかも後者は平成生まれ(たぶん)の子どもが銘板をデザインしている。
この橋の親子が、何時までも「親子」のままであって欲しい。

まだ15時半だが、久留里は5時に家を出ているので休憩含めて10時間以上自転車に乗っていることになる。そろそろ自分自身も充電が必要だ。

充電と言えば、久留里の携帯も電池がもうすぐ切れそうだ。実は神ノ川ヒュッテを発つ前に分かっていたのだが、電池よりも先にメモリカードが満杯になってしまったので直ぐに使用停止出来た。それ以降は予備のカードとauの白ロム機で撮影している。
尚、この区間もvodafoneは圏外であり、緊急時は通りがかる車に助けて貰うしか術がない。みなさんも通行には十分注意してくだされ。

「あれ?何か違うような気ぃすんねんけど………???」
今度は何が起きたのか?